人は何時間働くと過労死するのか? - モチベーションは楽しさ創造から
仕事は楽しくやりなさいというお話。だが、こういう話を理想論としてはねつける人もいる。
なんか仕事で嫌なこととかあったりする人がいると、「自分が影響力を持たないと何も変わらないよ」という話をする。影響力は他人に及ぼすだけじゃなくて、自分にも及ぼせるもの。まず、自分に影響を与えてみる。次に相手に影響を与えてみる。それでもダメなら、その前提を消し去ってみる。
おかげで俺自身はそれほど仕事でいわゆる悪性のストレスは感じてない。ある種の緊張感が伴うストレス・・・自分の実力を試されているといったような・・・そういうのはあるけど、ただ嫌で嫌でもう無理さようなら!というストレスは持ってない。
好きな仕事、楽しい仕事に没頭していくことが仕事なんだ。
ところが、そういう話をしているとこう言われる場合がある。
そりゃ、あんたがうまくやってるだけで、ほとんどの人はそんな簡単に割り切れないんだよ。悩みのない人に悩みのある人の心はわからない。薄情だからそんなことが言えるんだ。
言われた後、しばらく落ち込んだ。
俺だって悩みくらいはある。仕事上のね。でも、そうじゃないんだ。
その仕事を選んだ理由がどこかにあるはず。好きだから、好きになれそうだったから。そういえるのが一番幸せだろうけど、そうじゃないかもしれない。でも何かしらあるだろう?
家から近いというのも1つの理由だし、給料がいいというのも1つの理由。
本当に何もない?だったら、前提を消し去ろう。仕事を辞めるんだ。
辛いだけの人生を生きるくらいなら、仕事を辞めてしまおう。もちろん、辞める前に努力はするべきだろうけど。給料を上げてもらう。異動を願い出る。在宅勤務を提案してみる。どれもダメ?話せる人には全部話した?じゃあ、辞めよう。会社に見る目がないんだから。
ローンがあって辞められない??
じゃあ働く理由がある。ローンのために働くという理由が。そんな人生嫌だ?
では、その選択をしたのは誰だろう?自分?なら、やっぱり自分が変わるしかないじゃないか。
違うかい?
楽しく仕事をしたい、というのは贅沢なもんなのかな?
学生のときは、それが当たり前だと思っていたし、今も当たり前にその状態にいる。
俺が仕事上で悩むときは状況を変える手段を見つけ出そうとしているときくらいだ。
それを他人が余裕とみるか、能天気だと思うか、薄情だと思うか俺には関係ない。
一時期のストレスのせいで身体を壊した*1俺なりの答えだ。
*1:半年くらいである程度回復したから今後も命に別状はないと思うが・・・